徒然法律ブログ

時の問題や出来事を法律的視点で綴る弁護士ブログ

Non Novel 16選 2013

2013年12月31日 | 斉藤睦男

 当事務所の忘年会における恒例行事の「今年の1冊」は今年もつつがなく行われました。ここ数年は次の手順で選定しています。 ①私が今年の1冊を約20冊簡単な解説をつけてリストアップする。
②スタッフ各自がが、それに、○(読みたい本)、△(気になる本)、×(読んだ本)を付ける。
③各自の回答を見てその人に一番合いそうな本を買って(今年はアマゾンでまとめて購入)プレゼントする。
リストアップするのは、私が最近(ここ1~2年)読んだ文庫本、または以前単行本で読んだ本が今年文庫になった本で、ジャンルは小説です。
今年は、今日まで様々なジャンルの文庫本、新書本、新刊本を併せて105冊読み終えましたが、小説の文庫本で読んで面白かった本が意外に少なく、リストアップに難渋しました。その話をO弁護士にしたら、「それなら小説以外で良かった本も紹介してくれないか。」と言われ、今年1月から12月までに読んだ随筆、ノンフィクション、思想・哲学本、科学本などで「これはお奨め」と思える本をリストアップしてみました。読後の感想文を添えてあります。自分の内面が出ていて(本と対話するのだから、しょうがないかもしれない。)、気恥ずかしいのですが、O弁護士から「それが良いんだよ。」と後押しされて、ブログで公開することになりました。
前置きが長くなりましたが、それではご覧あれ。随筆、ノンフィクション、評論、思想・哲学本、科学本、今年の16選。

◆人生相談
□車谷長吉「人生の救い」朝日文庫

 「朝日新聞の土曜日be版の人生相談コーナーで連載中から評判で、朝のトイレの中で読んでいた(「トイレ本」についてはまたいつか書きます。)。最後は一気に。最初から打ちのめされる本。「嘆くというのは、虫のいい考えです。考えが甘いのです。覚悟がないのです。この世の苦しみを知ったところから真の人生は始まるのです。」

◆随  筆 
□石牟礼道子・藤原新也「なみだふるはな」河出書房新社

 素晴らしい対談集。買って約1年間なんだか怖くて読めなかった。石牟礼道子は実はいままで気になりながら読んでいない。最初の「なみだふるはな」の詩にまず目を見開らかれる。和歌のような地歌のようなリズムと莢かさ。言葉が映像になって広がる人だ。大変な記憶力。藤原新也は写真家。いま読んでいる「A3」では微妙な評価だが、物事の真っ只中に突き進む力を備えている。 水俣とフクシマ。なんと構造が似ていることか。水俣には石牟礼道子がいた。言の葉と言の葉に乗らない心の芯の思いを拾い上げ新しい神話(寓話)にまで昇華させた。水俣病の患者の普遍的な人の言葉が石牟礼道子を通して次から次へと出てくる。料理などを作る「手の人」でもある。フクシマには誰がいるのか。
カバーがおそらく原発事故の年の三春の桜。本の装丁が石牟礼道子の直筆の書。本のタイトルの詩を書いたもの。そのいずれもが良い。小野正嗣の書評の新聞記事を切り抜いて持っていたが、こんなにも思いが圧縮された書評はほかにない。

□堀田善衛「上海にて」集英社文

 この本も気になりながら長く手を付けられなかった。厳しさとピーンと空気が張りつめた緊張感が一気に押し寄せそうだったからだ。どうしても楽で楽しい本の方が良い。でも、今回は読み切った。イデオロギーで物を見ていない。自分の感覚に正直である。「それは違う」という心の叫びを大切にしている。中国人の花嫁を卑猥に侮辱する皇軍兵士につかみかかるシーンが最も印象的で、毛沢東とその人民解放軍の広さと深さにも初めて目を見開かせられた。戦後の中国の政治史もよくわかる(ついでにいうとアメリカは常にろくでもないことをし、ソ連もまた、ということがわかる)。緊張した状況にどう構えるかという点で矢作俊彦の「悲劇週間」を思い出した。大江健三郎(解説)が言うように歴史的名作であり、宮崎駿が「聖者の行進」の帯で言うように「堀田さんは海原に屹立している巌のような方だ。潮に流されて自分の位置が判らなくなったとき、ぼくは何度も堀田さんに助けられた。」というのも深くうなづける。中国と日本の関係について大きな問題が必ず起きる、という1960年当時の予言が当たりつつあるのではないだろうか。

□吉本隆明・ハルノ宵子「開店休業」プレジデント社

 日曜日の午後、最後まで読み終えてしまった。吉本の食べ物にまつわるエッセイは、エッセイとして余り巧くはないないが(老い?)、おっと、こんな普通の文章も書けるんだ、といった驚きと、等身大の息遣いが感じられる。対をなす長女のエッセイが、さらに良い。こんなふうに父を追悼する方法もあるんだ、といった軽い驚きと、優しさ(時として母親譲りなのかきつい物言いも)を感じる。哀悼ということを身を持って、言葉で表している。情におぼれない2.5人称の視点がある。誰かに薦めたいんだが、やはり吉本を知っていて好きな人でないと……。 最後の「氷の入った水」が絶品。吉本の「含みのない言い方」、懇願も媚びも威圧も取引も無い、ただそのままそこに「有る」だけの言葉。1日に、いや1週間に1回で良いから、そういう言葉を吐きたい。しかし、それは死出のことば?

□早川義夫「たましいの場所」ちくま文庫

 帯に脚本家・映画監督(であるらしい)宮藤官九郎が「誰かに悩みを相談するくらいなら、この本を繰り返し読んだ方がいい。」と書いているのは、この本の良さの最大級の評価だ。ジャックス以来、一緒に傍を走ってくれているランナーのような親しさを感じてきた。正直だ。批評ではなく、自分の心を書くこと。うつ病になったことなども書いている。

評  論
□平川克美「移行期的混乱 経済成長神話の終わり」ちくま文庫

 思考が浮ついていない。差異や違和を丸め込まずに誠実に思考する。こんなに良い本に出会ったのも久しぶりで、小熊英二以来だ。知的な興奮もさることながら実感を大事に組立てる点で小熊を超えているかもしれない。人口減少問題は、しかし、マス=統計の問題として把握はしてこなかった。マスの問題から切り込むことは実感から切り込む平川の手法にはなじまないのではないか。それでもおすすめ本であることに変わりはない。内田樹の解説が秀逸。高橋源一郎のダブル解説も。

□加藤典洋・高橋源一郎「吉本隆明がぼくたちに遺したもの」岩波書店

 すごい本に出会った。呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」を読んで吉本に半信半疑になった揺れが強く修正された。吉本隆明はとてつもなくすごい思想家だったのだ。文章が分かりにくいのはそのとおりだが、思考の幅が無限に広い。高橋源一郎の講演がとてもわかりやすい。異数の世界の詩の意味が吉本の立ち位置を見事に表わしている。加藤のいう、世界との直取引性、先端と原始の二方向性というタームも吉本の思考の本質を要約する言葉だ。それにやっぱり親鸞。親鸞の思想が吉本の思想を通すと実によくわかる。腑に落ちないことを大切にする、間違った場所から考えていく、これらは普段の思考の大切な視座を与えてくれる。また、読み直したい。

□寺山修司「啄木を読む」ハルキ文庫

 寺山修司×石川啄木というのは、地の底から吹く風に当てられるようで、買って長い間表紙とタイトルを眺めているだけにしていた。 啄木の次には太宰治と中原中也の鼻持ちならないナルシズム(自己中心性)を小気味よく暴きだしていて痛快だが、これって寺山の近親憎悪かもしれない。寺山は、「青森」を背負っているのではなく、ポスト・モダンの洗練された智を背負っていて、たまたま青森だった、と見るのが正解のように思う。寺山の智の世界は広く、大きい。観念・形而上の世界だが。

□鷲田清一「『ぐずぐす』の理由」角川選書

 題名が良い。オノマトペは気になっていた表現方法だった。たぶん初めてオノマトペを意識したのは小学校の授業で「春の小川はサラサラいくよ」の「サラサラ」が擬音語(擬態語)だと言われたときだ。「サラサラ」の言葉がまぶしく聞こえ、へぇーと思った。   この本は、オノマトペ全集ではなく、擬態語・擬音語を生み出す人間の原始的な肌理に分け入っていく。「存在」に近づいていく方法の1つのようにも思える。ふとした裂け目に本質が顔をのぞかせる、そこを掘り進んでいく話だ。

◆ノンフィクション
□沢木耕太郎「キャパの十字架」文芸春秋

 NHKスペシャルで報道された。最新CGを駆使した内容だった。本のほうは取材過程が丁寧につづられている。著者の息遣いや足取りが肌に感じる。やはり「奥の崩れ落ちる兵士」を発見したのが大発見につながったのだと思う。何べんでも、写真を引き伸ばしたり、別の角度から見てみたり、繰り返し「そのこと」に思いを巡らせることが発見を産むのだ。腰痛のひどい時期に1週間で読了。

□磯田道史「無私の日本人」文藝春秋

 「武士の家計簿」の筆者。書評でチェック。3人の無私の日本人を描いているが、1人目の穀田屋十三郎が大和町吉岡の人とは知らなかった。2人目の中根東里、3人目の大田垣蓮月とも、その英才と無私の対比が際立つ。禅かも知れない。江戸時代のある時期に庶民の倫理が最高のものとなった、という筆者の指摘は、そうなのかも知れない。 まねのできることではないが、この3人のような心持ちに少しでも至ることができれば、おそらく生きていくことが楽になるように思える。 3人についてのそれぞれの書き出しがとても良い。この書き出しに筆者の立ち位置が読み取れる。

◆科 学 本
□加藤勝彦「眠れなくなる宇宙の話」宝島社文庫

 タイトルが良い。カバー絵と挿入画が良い。文章も高校生くらいを意識しているのかとてもわかりやすい。アインシュタインの相対性原理もよくわかる。宇宙について考えることは、自分や人間を客観視できるようになること、という最後の言葉に然りと思う。天文学は哲学や数学などと同じ知性の極地にある学問だ。謎を謎として明確にし差異を無視しないで真理を求める姿勢。量子論がやはり「次の思想」になることがここでも示唆される。とはいうものの筆者の語り口には何ともおおらかな雰囲気が感じられ、人柄の素晴らしさが感じられる。土曜日にツタヤで続編の単行本を見つけ、早速ゲット。

□マンジット・クマール 青木薫=訳「量子革命」新潮社

 ついに読み終わった。本文だけでも468頁の大作だ。物理学そのものは半分も理解できていないが、ボーアやアインシュタインが何を悩んでいたかはよくわかる。電子はその軌道をから別の軌道に移動する際にエネルギーを放出したり取り込んだりする。放出するエネルギーがX線、α線、β線、γ線になる。移動する電子を観測しようとしても位置と速度(運動量)を同時に知ることができない。時間とエネルギー(質量)も同時に知ることができない。観察すること=光が電子に当たることで電子は存在しかつ突然運動量に不連続な変化が生じる。そうすると、現在が正確にわかっていれば未来を予測することができるという決定論的な因果律は成り立たない。予測することができるのは、可能性=確率だけになる。これに対し、アインシュタインは、観測者と独立した因果律に従う世界が確かに存在する、なぜなら月は見る前から彼方のそこに存在しているではないか、それに立脚した量子論が見つかる、と思っていた。
 アインシュタインの直観力とそれを表現する力とユーモアは卓抜している。不確定性・不可知性原理がたとえ正しいとしても。
量子論は哲学と表裏のものになる。粒子には独立した実在性はない。観測されていないときには粒子は物理的な性質を持たない。観測されるまでは実在しない。とみるか、実在するから観測できる。とみるか。宇宙の存在についても同じ議論がある。
量子論を実在化させると多世界解釈(二つの独立して異なる世界が同時に存在する)になることはわかるような気がする。宇宙は複数の可能性を重ね合わせた存在になる。

◆思想・哲学
□森岡正博+寺田にゃんこふ「まんが哲学入門」講談社現代新書

 哲学の基本命題である「時間」、「存在」、「私」、「生命」の4つの章で構成。テーマが互いに重なり合っている。表現上マンガだからわかりやすいことがかなりあるが、マンガは理解を助ける補助線のようなもので、あくまで主張が中心。森岡の思想が色濃く出ている。視野に構えたりペシミスティクにならず、生きている意味を肯定的、積極的に打ち出している。一般的な知識を売る入門書ではなく、哲学において「考える」とはどういうことかがしらずしらずにできていく、書けそうで書けない稀有の入門書だと思う。

□石井清純「禅問答入門」角川選書

 かなり前、たぶん震災前に買ってそのままだったが、ふとしたことで読み始めたら、面白い、面白い、1週間も経たずに読了。よく頭に入ってくる内容だ。こういうもの(禅の考え方)に自分が求めていたものがあったのだ。不安は心にある、心は虚で取り出すことはできない、不安は実体のないもので無となる。無となれば心が落ち着く。禅問答の1つから学んだ。 打ち立てたものは、常に壊さないと化石化する。壊して、相対化し、絶対や特別を作らないことで、生き生きとした息吹を放つ。これも学んだ。人から評価されたり、気配りを受けたりするようでは、まだ修業が足りない。評価されない、気を配られない、素の何でもない自然な姿でいること。これも学んだ。ときどき読んで良い本の1つになった。

□佐々木閑「科学するブッダ」角川ソフィア文庫

 八戸に出張する仙台駅の書店で『おや、なんだ、これは』、ふとタイトルが目に留まった。中を開いてみて、『おおっ、量子論から入っている、おふざけ本でなはない、他の進化論や数学の章も気になる』、少し迷ったが(というのは、列車の中で読もうと、天野祐吉「成長から成熟へ」集英社新書を鞄の中に入れていた。しかも、読みかけで面白い)ほかの本屋ではお目にかからないような気がして買った。
  著者は京大で理系の勉強をしたのち仏教学に「転向」して今は花園大学で教えているらしい。物理学における2つのパラダイムシフトはもうおなじみだが、量子論とその限界問題(波の収縮)が二重スリット実験を使ってわかりやすく説明されている。進化論に関しては予想の範囲だが数学論が面白い。無理数、虚数、実無限(ないし集合論)がパラダイムシフトになっていて、特に最後の問題が量子論や仏教とも重なってくる。キーワードである科学の「人間化」の意味と、その延長上にある脳科学に触手を伸ばす意味が読むにつれてわかってくる。脳科学の領域に突き進むことに最初は何となく警戒心がわいたが最後は納得。   自分の頭の中に積み重なってきた種々の一見関係がなさそうに見える事柄から得られた問題意識が、あるとき一気に焦点を結び鮮明な全体画像となって出現する、という瞬間が著者の中にあった。臨床法学を考えている僕の頭にも刺激になった。
ただし、肝心の仏教についての考察が少なすぎる。原始仏教が人間化を目指すものであることはよくわかるが、あともう2,3章くらい原始仏教のパラダイムシフトについて詳しい解説があって良い。いや、そもそも釈迦の時代の資料が素粉過ぎていて、原始仏教はすでにパラダイムシフトを通過して生まれたものなのかも知れない。大澤真幸氏とでも対談してくれると面白いのだが。   「犀の角たち」が原題。釈迦の言葉の中の言葉。2006年の出版。こんな前にここまで突き詰めた本が出ていたのだ。そういえば、前に買いそうになって買わなかったが、俳優の山崎努が自分の読書遍歴を書いた本のタイトルが「柔らかな犀の角」だった。

◇おわりに
よく聞かれる質問;

① どうやって本を選ぶ(見つける)のですか?
   ――新聞(主として朝日と河北)の書評は毎週欠かさず見ます。それと本屋での邂逅(一目ぼれ)です。タイトル、カバー表紙、帯と直観で買います。新刊本が出ると必ず読む作者やシリーズ物もあります。
② いつ読むのですか?
   ――土日祝日で暇ができた夕刻に、コーヒーを淹れて、CDを聞きながら。夜寝る前。それと、出張の電車の中。ちなみに事務所の中では読んでません。
③ どうして本を読むのですか?
   ――自信がなくなり、気分が落ち込んだり、スランプになったときの「薬」です。哲学本や宇宙論などは特効薬かもしれません。小説でも心に深くしみわたる物語に出会えると、世の中(も自分も)そう捨てたものではない、と思えて少し立ち直れます。